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2考察②ページ目(①ページ目はこちら

巫秘抄歌について

  巫秘抄歌はゲーム中においては冥府の門を開けるためのキーワードとなっている。しかしこれはSIREN2の主題歌であり、今回の事件そのものを表しているともとれる。

   そもそも巫秘抄歌がシュメール神話を元に作られているのはマニアクスにあるとおりであるが、注目するべきなのは、歌詞の順番がシュメールの冥府下りとは 逆になっていることである。元となったシュメール神話も実のところ、シュメールが冥府から帰ってくることで初めて神話が終了している。その際、七つの門で おいてきた七つのアイテムを取り返している。これはつまり、「冥府下り」という名称で行われていた行為(ゲーム中には「冥府下り」という単語は出てこない ことも考えると)、「七つの門の七つの鍵を開ける」という行為は、人間が冥府へ下っているのではなく、母胎が冥府から上がってくる、「現世回帰」の歌では ないかと考えられる。そうすれば、歌が最終門から始まって最初の門で終わっていることと合致するのだ。(冥府下りについては各自でしらべること)

 (巫秘抄歌に出てくるアクセサリーは実は作中でもいくつか発見されている。髪飾り、首輪、ゴールド王将、ブレスレットである。惜しくも耳飾り、錦の腰帯、天のころもが見つかりません。情報求む!!)

 こうして七つの門を開けてもらうことに成功した母胎は鳩を帰還させることに成功するのだ。

  さらに巫秘抄歌には使い鳥=鳩や、箱の船=ブライトウィン号?(しかもそこで打ち鳴らすのは腕の飾り=ブレスレットである)など明らかに作中の動きを表す 歌詞も見られる。まだ全てに対応するものを見つけられていないが、登場人物、あるいは作中の行動を示している可能性が高い。(まだ未解決)

  

考察その3

鏡写の世界と価値観の逆転

  今 回の舞台は現世の鏡写、写し世の世界であるが、この「鏡写」という部分が設定だけでなく、ゲームの内容そのものにもかかっているという考え方もできる。そ うなった場合、正しい行為は正しくなく、間違っていると思われる行為が正しくなってくる。この価値観の逆転の仮説を採用していくと、見えてくることがいく つかある。(冥府下りも逆手順で行われている)

  永井のステージ「共闘」で、第一条件ではしっかりと握られた永井と一樹の手は、第二条件では永井が太田に突き落とされ一樹の手を取れず、鉄塔から落ちてし まった。これをはじめ、第二条件の方が、自体が悪い方へと傾いていることが多いことに気がつける。実は藤田の第一ステージなどは、まだ現世の夜見島であ り、第二条件で不安定な地場から見えたブライトウィン号の明かりを発見しなければ(第一条件でそのまま崩谷方面へ抜けていれば)、そのまま巻き込まれず夜 美島をあとにしていた可能性が高い。藤田と合流できなければ市子は百合に発見されそのまま殺されてしまうので、この次元では藤田が殺されることはない。藤 田には怪異に遭遇せずに帰るパラレルワールドが存在しているのだ。

  様々な第二条件から引き起こされる現象を鑑みると、第二条件は「母胎から見た都合の良い条件」である可能性が高くなってくる。ここでマニアクスにある情報 を見ると、『地上に還りたいと願う母胎の”想い”が虚無の世界の理を捻じ曲げ、無限に分岐していく平行世界を生み出していく』とある。この記述を見れば、 そもそも、ここ夜美島は母胎の作り出した母胎のための舞台であり、全てのパラレルワールドは母胎に都合のいい部分を抜き出すための装置であるということが わかってくるのだ。(各第2条件と必要条件はタイムチャートに載っているので確認してみてほしい)

 この事実によって、そもそも、このゲームの主観が実は闇人側にあったということがわかってくる。SIRENでは第二条件つまり、登場人物たちの努力とあがき、人としていきたいという想いが堕辰子の首を落とし、晴海を生還させるという終着地点を見せているが、SIREN2では、登場人物たちがあがき、頑張ることによって、事態は悪い方、闇人たちにとって都合の良い方へ転んでいってしまうのだ。(No.053永井の自衛隊身分証明書の母親からの「諦めないで頑張るからネ」の一文、よく見ると「頑張る」の部分にだけ唐突に血痕がついている。)(ぞっとします)

考察その3

ゲーム内で登場人物たちが行ったこと

 正しいと思われることは正しくない。頑張ってはいけない。を念頭に置いて登場人物たちが行ったことを振り返ると(鳩が鳩の立場を理解して望んだ行動は叶えられる?)

 加奈江は脩を「助けたい一心から」夜美島を「脱出」している→実のところ、加奈江があのまま太田達に殺害されていれば、そもそもこの話はなかったのかもしれない。

 一樹が百合を「信じて」冥府の門を開けている→開けてはいけなかった。

 郁子は一樹の言葉を「信じて」門の石碑を壊した→効果はなかった(むしろ壊してはいけなかった?封印を壊してしまった?)

脩は「宝物」(おねえちゃんの絵)を発見した→見つけてはいけなかった(おねえちゃんの思い出が強くなって冥府下り・吸収へ)

 藤田は中学生の「女の子を保護」した→実は模倣体だった。

 市子は藤田と合流したため、「助かった」。→藤田は殺害される羽目に。

 永井は百合を「助けた」→百合は自由に、冥府下りを一樹に行わせる。

 三沢は少女と「再会」した→三沢のトラウマと霊感が最高潮に?それゆえ市子の正体を見抜き永井に打たれる羽目に。

 章子は、加奈江の秘密を「知った」。→人格を加奈江に乗っ取られる。

 阿部は、章子の「手伝い」をした→章子の人格が消えることに。

 

  目立ったところを箇条書きにしたが、もちろんこれにとどまらず、人間の感覚から言えば「正しいこと」「良かれと思ったこと」を行なうと、不思議と報われな い結末が待っている。これは終了条件に限ったことではなく、様々なムービーや各登場人物たちの動きにかかってきている。特に三沢は早い時期から異界の気配 を感じ取っているため、百合と市子に対し銃口を向けるなど敵対的な雰囲気を見せる。当然これは自衛隊員として、危険地であった女性や少女に対して取るべき 行動ではないが、この三沢の行動こそが「正しかった」のである。(そしてそれを正義感、倫理観から止める永井の行動こそ、正しくない行動なのである)一樹 はいくつかのムービーで百合をかばっているが、これは結果として人類を危機に至らしめ、阿部が章子の誕生日を祝ったことでさえも、最終的に章子が消え、加 奈江となって生まれ変わる事への皮肉なってしまってすらいる。 (ほかにも色々あるはず)

  一樹のムービー「反抗」で永井は三沢を自身が撃ったことを認め、最後まであがくと言っている。(一樹はここで「もうダメだ」と諦めの表情を見せている)こ こで永井は「映画でもそう言う奴が生き残る」と言っているが、永井最初のムービー「不時着」で三沢は「これ、ドラマじゃねぇから」と既に言っている。この 物語は「映画でもなければドラマでもないので」全ての努力・想いが報われはしないのである。

 

 そして、頑張り、あがいた挙句が永井のEDである。気持ちとしては納得がいかないが、この舞台では、頑張ることは正しくないことなので、永井が頑張った分だけ残酷なEDが待ち受けている。さらに、このEDは闇人と人類の立場が入れ替わっており、アーカーブ(No.097闇人の絵日記)にあるとおり、永井の方が突然降って湧いた「化物」なのである。これはマニアクスにも載っている「地球最後の男」のオマージュであり、悪であるはずの化物と正しいはずの自分が逆転してしまうという、最も恐ろしい現象をEDに持ってくるとともに、このゲームの根幹に価値観の逆転があることを伺わせてくる。

考察その4

SIREN2と言うゲームの本当の流れ

 ゲーム収束への正しい条件を我々はゲーム内で行っていくわけだが、その中でも気になるものが、母胎のの覚醒に立ち会った人物(一樹・郁子・阿部・章子・脩)4人+市子は様々な箇所で門を開いているということだ。

 まず、章子の000「違和感」ここでは、章子が車止めを排した上で車を使って門を破り瀬礼州方面へ抜けている。次に一樹の300「迷道」で一樹は正門を封鎖している針金ををペンチで切り、母胎の片鱗を入手している。同じく300脩「代役」 で木製バットを使い壁を壊して道を開き、化石を発見する。次は800「虚無」の市子で闇人の乗った軽トラックをパンクさせて車を当て、学校裏門を開く。次は章子1500「彷徨」でこれは熊手を使い浅野家の門を開いている。さらに阿部の1900「苦悶」でトロリー電車での鉄扉の破壊。最後に2000郁子の「闇人」での闇人乙式を使って、鍵を開けさせてカメラを入手する。

  これで、六つの門が開かれた。さらには、これらは開かないままクリアすることは不可能で、且つそれぞれムービーが挿入されて行われている。また、人間であ る章子、一樹、脩(壊したのは阿部だが)阿部は門を破壊するかたちで、鳩である「彷徨」の章子(加奈江)と郁子は鍵を壊さず、裏側から開けて(開けさせ て)いる。(あとひとつはうまく見つけられなかった。もしかしたら最後のひとつは失敗しているのかも)

 このうち阿部の鉄扉以外は第二条件での行動である。第二条件が闇人側にとっての条件であることを考えると、そもそも、登場人物たちが行う夜見島での第二条件の行動そのものが「七つの門」を開ける鍵になってしまっているのではないだろうか。

  そうであれば、母胎は現世回帰の一歩手前まで非常にテンポよく進んでいたことになるが、母胎にとってイレギュラーだったのは、鉄塔が破壊され、特異点とい う場に引きずり出されてしまった事のみにほかならない。ご存知のとおり阿部の仕業であるが、件のムービーの題名は「不測」。これは、阿部にとっても「あり えねぇ」ことではあったが、それ以上に母胎にとって不測の事態だったに違いない。(阿部はマニアクスにおいても、トリックスターであると述べられているの で、さまざまな事柄から例外である可能性がある)(太陽の力・ゴールド王将を拾うのは阿部であり、また、101個目のアーカイブ、木船柳子からの手紙でも、「倉司は私にとっての太陽」とある。闇人達のもっとも苦手とする太陽の名前が阿部には付きまとっている)

  最終戦においては、母体の影響がおよばない特異点で行われ、可能性の収束が行われている。しかし、特異点では全てのものが干渉しうるので、夜見島内と違い 母胎にとって不利な状況も現れてくる。(パラレルワールドを管理できないため、母胎にとっても一発勝負)そこで加奈江が闇那其で自害をすることで母胎に損 傷を与え、闇那其が変化(加奈江の自害が引き金となったことを考えると、加奈江が同一存在である自分を傷つけることにより、母胎は闇那其で傷けることが可 能な存在に変化したのかもしれない)、母胎の撃破までたどり着いている。

  ここで、二本の闇那其によって傷つけられた母胎が損傷しているのは、実は目である。このゲームのテーマの根底にはもう一つ「見る」というキーワードがあ る。これを念頭にゲームを行なうと、非常にこのキーワードが多用されてることに気が付けるだろう。一番印象的な「脩、見ないで」「見て、私を見て」を代表 として同種として、「眠る」「目覚める」などの変化系はあれど、見る、知るという認知する行為に対し、わざわざこの言葉が使われているのがわかるだろう。 なお、加奈江はとおして(章子から覚醒したあとも)「見ないで、見てはいけない」と言っており、逆に百合は「私を見て」と言っている。

  闇那其によって目を潰され、何も見ることができなくなった母胎は最後の津波を起こしている最後のムービー「終焉」において、一樹と郁子はその大津波に巻き 込まれてしまうのだが、ここで、固くつないでいた一樹の手は郁子の手と離れてしまう。この、触れるという行為もまた、作中に多く出てくる。(阿部と寄り添 う章子、一樹をを立たせる永井、永井に抱き着き事切れる三沢)これはどうも人類側の物である様子であるが、特に一樹は郁子に対しては3回(逆に鉄塔では落ちそうになる郁子を引き上げることに成功している)、そして鉄塔から落ちる永井に対して、手をつなぎ損ねている。最後の津波で郁子の手をつなぎこ損ねたのには何の意味があるのであろうか。

 最初に一樹が郁子の手をつかみ損なったのは翔星丸で郁子が海に投げ出される時である。このあと、海に沈んだ郁子は感応視を使って堕慧児から逃れている。2回目は郁子に心が読めると告白されたときで、悪意からではないが、咄嗟に手を離してしまう。郁子は「化物を見るような目で見ないでよ」と言って去ってしまう。3回目が最後、津波に巻き込まれ、固くつないでいたはずの手を離してしまう。

  郁子は感応視を使っていくつかの困難を乗り越えてきているが、感応視とは、相手とシンクロする行為であり、それが非常に強化され、意識の根底が同じである 闇人を操れるまでになっている。しかしこれは同時に、郁子の意識も無意識のうち闇人へ意識をシンクロさせていっているということになる。特に、堕慧児から 逃げたとき(そもそも郁子のうちにあるBの 因子は堕慧児に影響を受けている)の感応視を使用しており、冥府で母胎も感応視で止めている。この島に来てから力がどんどん強くなっていると、郁子自身が 言っていたが、堕慧児や母胎といった強力な超常存在とシンクロしてそのままでいられるわけがないのだ。そして最終ステージ、やはり郁子の感応視が母胎撃破 の必要事項であるが、ここでは郁子はなんども母胎と感応視(シンクロ)する必要が出てくる。ここで無意識のうちでも強く母胎とシンクロしてしまった郁子 は、津波に巻き込まれたとき、一樹と手を離してしまう。ここで3回人である一樹と手を離してしまった郁子は、鳩というよりも闇人に「なってしまった」可能性が出てくる。

 一樹のED「収 束する世界」では、朝日を見る一樹の後ろでひどくまぶしそうにしている郁子がいる。彼女は一言も喋らない。最後の津波で手を離してしまった=郁子は人でい られなかったのだ。さらに最終ステージで母胎となんどもシンクロしていることから、郁子は最早、鳩ですらない(その証拠に顔が変わっていない)、母胎その ものになってしまったのかもしれない。

 この仮説で行くと、なんと母胎は悲願である「現世回帰」達成しているのである。

 登場人物たちが頑張った末、母胎は虚無の世界から脱出できる殻があることを確信し、開け放たれた七つの門をとおり、虚無の世界から脱出することと相成った。(特異点と加奈江の自害は母胎にとってもイレギュラーであったと思われるが体良く脱出できたのは間違いない)一樹のEDで流れる巫秘抄歌。この物語の最後の言葉は「まことにめでたくまったらば ななつのもんが ひらかれん」

 めでたく舞ったのは我々登場人物であり、プレイヤーである、あなた自身なのだ。

考察その5

SIREN2SIRENの鏡写?

 今回の舞台は鏡写の異界「夜見島」である。しかし、この「鏡写」は舞台の設定そのものだけでなく、前作SIRENの鏡写であると考えられる。

  オカルトに興味のある若者、犬を連れた盲人、赤い服の女、離れて育った双子、霊感持ち。前作でも聞き覚えのあるような人物設定から、前作と今作が全く別物 として作られていないことは間違いない。さらにここに、「鏡写」逆転の設定である、という条件を当てはめると色々見えてくることがある。

  まず、舞台そのものが「山」と「海」である。さらに異界そのものもまた、「地獄段」や「蜘蛛の糸」という名称からも夜見島の異界は「地獄」であることが伺 える。対して、羽生蛇の異界は神の国に続く「天国」である。そして両者の作中で開かれるものは「冥府の門」と「楽園の門」なのである。SIRENにおいては、黄泉戸喫 は脱出不可となる禁忌として、依子が多聞に止められているが、SIREN2においては阿倍の黄泉戸喫 こそが人間側に特異点という最後のチャンスを与えることとなった。(ライターは実はSIRENにも出ており、美浜奈保子がライターを紛失していたがために、どうも脱出し損ねているらしい)(阿部はライターを一旦失くすが、紆余曲折を経て阿倍の手元に帰ってきている(これこそが人類側の達成条件?))

 また、いんふぇるのへは屍人の巣を降りていき、特異点へは鉄塔を登っていく。

  SIRENに おいては、当然だがすべての視点は人間がわで進んでおり、彼らの「頑張り・あがき」「誰かの為に」の行動は、すべて正しく、道理に則って報われている。み んなのあがきが木る伝を解放し、美耶子との約束がウロボロスの輪を打ち壊し、高遠の献身が春海を現世へ帰還させた。また、SIRENでは、「聞くこと」「耳を傾けること」がひとつのテーマとなっている。自らの使命に耳を傾け、それを果たすことこそが、救いの道であり、正しく努力すれば努力した分だけのエンディングが用意されている。しかし、SIREN2に おいては、「あがき・頑張る」ことで自体は悪化し、「誰かの為に」する行動は、報われない。少女の願いに協力した一樹は冥府の門を開ける羽目になり、市子 を救いたいと思って、ブレスレットを持ち奔走した永井の行動は逆効果だった。使命感から記憶を辿り、真実を知った章子は消滅し、人として戦った郁子は化物 になってしまった。SIREN2ではSIRENとは逆に「見る」「認識する(知る)」ということがテーマであるが、その実それは「見てはいけない」「認識しては(知っては)いけない」である。何も知らず、ただ黙って眠りにつく。これがSIREN2の正しい対処法であり、ある意味、登場人物たちは、脱出を諦めて果てる、という選択肢こそが人類を救う選択肢であったといえよう。(ただし、これは鳩(闇人)の話なので鳩たちが鳩として(わかっていながら)行う行為は正しく反映されているような気がする)

 同じ使命を果たす双子でも、宮田は使命を果たし宮田自身も救われるが、郁子は使命を果たしたが故に救われず、化物に成り果てる。

 

 12が対極的なのは、SIRENではただの高校生である須田恭也が、美耶子との約束というほんのささやかなもののために、「人から神へと成っている」が、SIREN2では加奈江という神の分身が脩の、たったひとりの男の子の無事のため「神ではなく人として生き、死ぬ」ことを選択している。

 SIRENは「人が神に上がる話」SIREN2は「神が人に降る話」なのである。

まとめ

   以上で今回の報告レポートとさせてもらう。しかしながら、まだ解析が不十分な箇所が多く有り真実はまだまだ深い海の底なのかもしれない。しかしながら、 今回のレポート、考察から新たなことが見えてくるのは間違いが無いだろう。これを読んでくれた皆さんにも是非引き続きの解析を頼みたい。

 特に巫秘抄歌についてはもっと突き詰めていけるはずだ(なにせ歌詞を佐藤直子が作っているんだし)。「焔みやって」「風音尋ねて」等々の部分にも何かしら意味があるに違いない。報告者である私も引き続き解析を進めていきたいと思っている。

  作中でムービー挿入されて壊されている、もしくは無理やり開けられている門は六つしか確認できなかったがまだまだ見落としている可能性も捨てきれないの で、ぜひこの機会にもう一度ゲームをプレイしてみてほしい。作中に出てくる巫秘抄歌に出てくるアクセサリーついても、非常に興味深い状態なのでこれはと思 うものがあれば知らせていただきたい。

 また永井のED、阿部のEDについても、もっと納得がいく、詳しい説明ができるのかもしれない。闇那其やSIRENで キーワードとなった「相反する力」についても調べが回らなかったため、悔いが残る。また、今回については、取り急ぎの報告とはいえ、堕慧児と自衛隊につい て全くと言っていいほど触れられなかったので、次回報告書を提出する際にはそちらを重点的にレポートしていきたいと思っている。

 SIRENほど、小気味よく、絶望の中に希望が見える話ではないが、SIREN2はそんな中で、誰がどう思って行動し、誰を気遣って、誰のために行動したかを考えると非常に奥深く、その深さゆえに悲しい物語である。しかし、その分、海のような不安な味わいある作品であるので、このレポートを目にすることとなったみなさんは是非、もう一度SIREN2を紐解いてみてほしい。夜見島から脱出してきた今となっては、努力は悪い方面に傾かないのだから。

SIREN2は脩が目覚めるステージから始まって、眠るムービーで終わっている)

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